2015.9.1.
アンソニーと親子3代
3世代にわたって使用された木製カメラを一関市に寄贈しました。
2015年9月1日、「アンソニーA型」という木製カメラを、一関市に寄贈させていただくことになりました。
このカメラは、昭和34年(1959年)に当店にやってきました。
昭和34年といえば、南極でタロージローの生存が確認され、王貞治がプロ入り初ホームランを打ち、東京ナイトクラブという歌が流行った年。
当時44歳だった祖父が、そのころ東京・神楽坂で写真の修行をしていた19歳の父といっしょに、東京で購入してきたと聞きます。
以来、初代:吉夫(祖父)、2代目:吉隆(父)、3代目:拓也(私)と、親子3世代にわたり使用されました。
もっとも、スタジオの記念写真撮影でメインカメラとして大活躍していたのはおそらく昭和40年あたりまでで、金属製のカメラが主力になった後は第一線をしりぞき、もっぱらモノクロの証明写真を撮影するときにだけしか使われなくなり、なかば引退の状態になってはいたものの、私が千葉写真館を継ぐために修行から戻ってきた平成5年(1993年)当時でもまだ現役で使われていて、すこし驚いたものです。
もちろん私も父から使い方を教わったので、このカメラを扱えますし、実際に何度もモノクロの証明写真を撮影しました。
真鍮の留め金やダイヤル。
大きな昇降ギア。
アンティークな手回しハンドル。
シャッター羽を開放にして、昔ながらの布をかぶり、ピントグラスに映る上下逆の像にルーペを押し付けピントを合わせ、シャッター羽を閉じ、シャッターのバネをチャージし、木製のフィルムホルダを装填。
引きぶたをあけ、シャッターを切り、引きぶたを閉じ、フィルムホルダを外す。
シャッターボタンをポチッと押せば写真が撮れてしまう現代のデジカメと比べると、かなり手間はかかりますが、じつに味のある撮影手順でした。
このカメラが完全に引退したのは、当スタジオのカメラがデジタル化した平成16年(2004年)ごろ。
現役使用期間は1959〜2004年。
合計45年間。
よく働いてくれたものです。
技術の進歩と廃りが早すぎる現在のデジタルカメラの平均寿命は3〜5年ということを考えると、今では考えられない長寿命です。
しかし、何十年も使いこまれた道具がまわりに普通にあることって、本来はあたりまえのことなのではないでしょうか。
現在のような、製品が短寿命で、買い替えサイクルの早さに依存している経済システムに、違和感を覚えます。
ところで、私は昭和44年(1969年)生まれ。
昭和34年生まれのアンソニーはちょうど私より10歳年上ということになります。
これを書いている2015年現在、人間で言えば、56歳。
昭和の大スター、山口百恵さんと同い年のようです。
大先輩なのであります。
これまで長い間、私たち一家の生活を支えてくれて、ありがとうざいました。
現在、アンソニーは、市が管理している「せんまや街角資料館」に、展示され、静かな余生を過ごしています。
他にも昔懐かしいアンティークな道具がたくさん展示してあります。
ちょっとノスタルジックな気分に浸りたくなったら、ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょう?
せんまや街角資料館
所在地:〒029-0803 一関市千厩町千厩字北方129-1
営業時期:毎週月曜日と毎月最終金曜日休館
(※上記以外の休館日:年末年始(12月29日から31日までおよび1月1日から1月4日まで)必要に応じて臨時に休館することがあります。)
営業時間:9:00~16:30
問合せ先:せんまや街角資料館 【TEL】0191-51-3883
「せんまや街角資料館」に行ってきた。
展示されたアンソニーに家族で会いに行ってきました。
2015年9月23日、北海道で学生をしている長女が帰省したこともあり、アンソニーが展示されている「せんまや街角資料館」に家族6人で行ってきました。
かなり濃いオーラを放つ展示物が満載。面白いところです。
ソ連の人工衛星を思わせる昔の手回し洗濯機(説明がなかったら何かの実験装置だと勘違いするレベル)や、もはや超芸術であると言い切ってしまいたい昭和前期の映画ポスターなど、レアでキッチュでレトロな展示物が満載。
そんな濃いキャラの展示品が居並ぶ中で、我がアンソニーも堂々と展示されておりました。
「せんまや街角資料館」〜葉たばこ生産で栄えた千厩町の歴史を物語る旧専売局千厩タバコ専売所の建物(明治30年建設)。現在は「街角資料館」として葉たばこ関連の資料や生活文化資料が展示されています。建物は平成17年度に国の登録有形文化財に登録されました。また館内には、昭和20年代から50年代にかけて地元映画館で活躍した35mm映写機や昭和10年代の映画ポスター、昭和30~40年代の洗濯機など、昨日まで倉庫の隅に眠っていたと思わせる生活文化資料などが展示されています。