2010.2.14.
セント・バレンタインデーの午後に
今日、とてもすてきな女の子からチョコレートをもらってしまった。
できあがった写真を受け取りにきてくれた友人の、かわいらしいお嬢ちゃんからである。
おかあさんがしきりにその子の背中をつっついていたので、なんだろうと思ってみていたら、そのうちおかあさんがかわりにチョコレートを差し出してくれた。
おそらくぼくの友人であるその子のお父さんからお土産のプレゼンターを言いつけられたのだが、案の定、はずかしくなってしまったのだろう。
ぼくは丁重にお礼をいった。
恥ずかしそうに微笑む女の子。
礼儀正しく利発そうな眼をしていて、とてもキュートだ。
お父さんとしては、眼に入れても痛くないことだろう。
その友人は、いま東京に単身赴任している。
ぼくは、とてもすてきに撮れた家族写真を、友人が東京の部屋にもっていって飾れるようにアレンジし、個人的にプレゼントさせてもらった。
ぼくにもふたりの娘がいる。
こんなかわいい家族から遠くはなれて奮闘している友人の気持ちがとてもよくわかる。
そう思いながら写真をつくっていて、不覚にも涙がでてきた。
同情の気持ちからではない。
おなじ「今」を生きるお父さんたちの、そしてそのお父さんたちが守り、また、同時に守られてもいる、たくさんの家族たちのあたたかい「何か」がこの世界に満ちているんだということを、耳の後ろや背中のあたりに、じんわりと、しかもはっきりと感じたからである。
今日東京に戻るという友人とその家族をのせて帰っていく車が、とてもあたたかいものに見えたセント・バレンタインデーの午後だった。